この本を読め

今まで何百冊か読んだ本の中で、これは読んでよかったという本を紹介します。

利己的な遺伝子 リチャード・ドーキンス

遺伝子が複製されるために、人間は乗り物として存在する。人間が生きている意味は、遺伝子を複製し、後世に伝えるためだ。

 

人が恋に落ちるのは、有利な遺伝子を後世に残したいと思うからだろうか。自分の子供を無条件にかわいいと感じるのは、自己の遺伝子を守るためであろうか。人間の生活の喜怒哀楽の九割は、遺伝子で設計された人間の本能で説明できそうだ。

 

では、人は遺伝子のために生きているのか。確かに喜びはある。親とキャンプに行っておいしい夕食を食べたとき、勉強で今までできなかった問題が解けたとき、サッカーでシュートを決めたとき、好きな人と初めて手を繋いだとき、など喜びの瞬間はある。ただ、苦しみもある、親からのいい子供になることを求められるプレッシャー、勉強での挫折、プロ選手との能力差の絶望、好きな人との別れ、苦しい瞬間も多くある。それらが、全て遺伝子を残すために本能としてセットされた結果だとわかると、虚しい気持ちになる。自分は主体ではなく、遺伝子に予め設計された乗り物として、生きているだけではないかと。

 

この本を読んでから、永らくこの虚しさに囚われていた。今まで努力してきたことが、遺伝子のためなのかと。子供がいて子供のことは好きなので、遺伝子を残すことに何ら不満はないけれども、結局は遺伝子のためということを思うと、個人としては冷めてしまった面がある。

 

本書で人間の自尊心が3つの偉人に傷つけられたと記載がある。コペルニクスの地動説によって地球が中心に回っていないこと、ダーヴィンの進化論によって人間が進化の中心にいるわけではないこと、フロイトの心理学によって人間の意識だけでなく無意識に大きく動かされていること。それらに並ぶくらい、ドーキンスの指摘は傷つく。

 

だが、ドーキンスとして、人間に希望を与える指摘をしている。人間は文化という特異性を持っている。文化は人に伝承されて広がっていく。利己的存在たる遺伝子に先見能力はない。一方で人間には先見能力がある。我々、人間だけが、利己的な遺伝子専制支配に反逆できる、と。

 

私が虚しくなったことは必要なことなのだろう。人間が遺伝子に操られているという事実を把握した上で、人間として、個人としてどう生きていくかということだ。遺伝子の支配を理解した上でどう生きるかというのが、遺伝子の支配のもと生きている人との差異であり、もう一段人間としての可能性を広げることになる。

 

遺伝子の影響を客観的に把握することで、完全には逃れられないかもしてないが、少しは遺伝子の影響を受けない決断をできることができ、もしかするとその方が人間としては幸せな方向に向かう可能性があるかもしれない。

 

私としては、子供も生まれ、遺伝子を残すことができたので、あとは遺伝子の操作を客観視しつつ、残りの人生を楽しみたいと思う。できれば、遺伝子の操作からの自由を獲得するための文化作りに貢献したい。